怒るということは甘えである。
そんな話を聞いたので、なんだか釈然としないものを感じながら。
「怒りとは、甘えである。
たとえば、相手が銃を持っていたとして、その相手に怒ることができようか?」
一見、なるほどな、と思うものです。
「なるほどな」と思う。
それはきっと、身近に怒っている人がいて、「アイツは甘えてんだ」って思いたい人なのではないでしょうか。
最初はぼくも「たしかに」と思ったのですが、何かが引っかかっていて、昨日ふと思いました。
「自分が怒っている」という状態と「相手が銃を持っている」という状態から
「相手に対して怒れない」というように考える。
このことからわかるのは、「怒りは甘え」ではなくて、『恐怖は怒りを凌駕する』ということですよね?
甘え関係ないやん、と。
ぼくが最初に釈然としないなあと思ったのは、そんなにしっかりした理論ではなかったのですが。
怒る相手が銃持ってたら、きっと自分も銃用意するやろ、とか。
仮に相手が銃持ってたら、怒ってなくても声かけれんやろ、とか。
そういう、”不明瞭な前提”に対して釈然としなかったんだと思います。
”怒りとは酸である。注ぐ相手より、蓄える器をより浸す。”
マーク・トウェイン
怒ることは、相手を傷つけるより、あなたの心を壊しますよ。
では。
でも、もしどんなに永い時間をかけても消えない怒りがあるならそれは忘れてはいけない「義憤」なんだって言ってる人がいたな。
忘れてはいけない「義憤」、かあ。
深い言葉だなあ。